食事、デリダのドゥルーズ論―愚かさ、「本能と制度」

1300 ヨーグルト、コーヒー
1500 コーヒー
2000 冷やしラーメン、だるかった。
2100 ごまラーメン、野菜多め(そうでもないか)、大したことない
2200 はちみつ梅、すっぱハイチュウ

漫画五冊買った、ラグビー漫画が面白かった。気持ちがフラットになり、いらいらが解消されます。常数ですが打ち切りになることも覚悟の上です。

今日も一日一「本能と制度」!!三日目!!
今日は、制度の社会的肯定性をかくにん!よかった!
そういやデリダの引用にも、社会的制度、って出てきたと思う。かくにんはしないが。普通ならあっさり見逃している単語だ、と今更?思う。今日は涼しかったのでクーラーはつけていません。

和辻哲郎の随筆集、コーンフォードのソクラテス以前以後、を買った。
九鬼の随筆に「エロ百パーセント、を、色気たっぷり、というのでは近代色がでない」みたいなことが載っていた。ダジャレもそうだが、40年代になくなったとは思えない、おっさんぷり。


デリダドゥルーズ論読む。デリダの文章を読んだの初めてかもしれないくらいだったが、ハイデガーの煙にまくような流れと似ている?のかな。とにかく驚いた。まずドゥルーズ自身の愚かさについての文章が面白いのは確か、千葉にしても小泉にしてもそこに注目していることもあり、見たことのある引用文章が多々あった。論文はもちろんデリダが先に提出しているが(一応これは講演の文章をもとにしている、はず)。

とりあえずデリダの初期を読んでいこう。で、徐々に驚いていきたい。
デリダの文章が変わっていったのは、どれだけハイデガーと関連付けて言えるのだろうか? にしてもそれは底なし、で厄介過ぎる問題らしいが。
ここで近藤を思い出す。一冊目以後は蛇足でもう死んだほうがいいみたいなことが書いてあった。?。
これから書くのは、これ、への脚注になってしまう、し、それでいい、とのことだった。
近藤と東のこういう態度は似ているかな?とにかくその後の方向性は全く違うけど。